2022年4月23日に北海道の知床半島で、観光船「KAZU1(カズワン)」沈没の事件が起きました。
行方不明となってしまった遊覧船の船長は豊田徳幸(とよだ のりゆき)氏です。
今回は豊田徳幸船長の経歴や学歴についてまとめてみました。
時系列順に紹介しますので、順に見ていきましょう!
【顔画像】豊田徳幸のプロフィール
出典:Twitter.com
まずは豊田徳幸氏のプロフィールについて。
2022年4月23日の北海道知床の観光船事故に関して、船長は豊田徳幸氏(54)であることが報じられました。
- 名前:豊田 徳幸(とよだ のりゆき)
- 生年月日:1967年5月27日
- 年齢:54歳 (2022年4月27日)
- 住所:北海道斜里町
- 出身地:埼玉県蕨市(わらびし)
“豊田徳幸”の名前でFacebookを検索すると、同姓同名のアカウントが出てきます。
出典:Facebook
こちらの男性アカウントの生年月日は、昭和42年(1967年)5月27日と記載されております。
現時点で54歳となることからも、報道での船長の年齢と一致しますね。
そんな豊田船長の経歴や学歴については、次で調べてみました。
豊田徳幸の学歴まとめ!
出典:Facebook
ここでは豊田徳幸氏の学歴についてまとめてみました。
出身中学や高校について順に見ていきたいと思います!
- 1983年:蕨市立第二中学校(埼玉県)卒業
- 1985年:吉川高等学校(埼玉県)中退
【1983年】蕨市立第二中学校(埼玉県)卒業
Facebookでの情報によると、豊田徳幸氏は1983年に埼玉県の「蕨市立第二中学校」を卒業されております。
こちらは豊田氏の地元、埼玉県蕨市(わらびし)にある公立の中学校です。
【1985年】吉川高等学校(埼玉県?)中退
また豊田氏は「埼玉県立吉川高等学校」という高校を中退されているとの情報がありました。
1983年に高校に入学し、1985年3月に中退。
高校3年生になる直前に高校を中退されたことが分かりますね。
中退理由は不明ですが、何かしらあったのでしょうか。
尚、吉川高校に関しては、2013年に埼玉県立吉川美南高等学校へと統合されております。
(設置場所は吉川高校の現在地とのこと)
豊田徳幸の過去の経歴を時系列で!
続いては、豊田徳幸氏の過去の経歴を調査しました。
時系列順にそれぞれ見ていきたいと思います。
- 2013年5月2日〜2018年7月31日:日本水陸両用車協会の船長ドライバー(長崎県)
- 2018年8月1日〜2020年6月:ワールド•キャビンの貸切乗務員
- 【追記】栃木県日光市で水陸両用バスの運転手をしていた?
- 2020年6月〜?:北海道知床に単身赴任
- 2021年:KAZU1(カズワン)の船長に
【2013年5月2日〜2018年7月31日】日本水陸両用車協会の船長ドライバー
出典:Facebook
豊田氏はかつては「日本水陸両用車協会」というところで働いておられました。
そこでの期間は、2013年5月2日〜2018年7月31日まで。
場所は長崎県で“船長ドライバー”を勤めていたとのことです。
尚、NBC長崎によると、豊田氏は2016年から1年間は、“有明海”で水陸両車のドライバーを務めていたことです。
北海道の知床半島沖で遭難した観光船の船長・豊田徳幸さんは2016年から1年間、 島原市などが企画した観光ツアーで有明海を走る水陸両用車のドライバーを務めていたことが分かりました。
引用:NBC長崎
出典:長崎NEWSWEB
上記の件について、豊田徳幸氏が勤務していたバス会社の当時の上司がNHKのインタビューに答えておられました。
場所は長崎県島原市にあるバス会社となります。
こちらの会社は市からの業務委託を受けて、およそ8ヶ月間、水陸両用バスを運行していたそうですね。
この会社は、6年ほど前に市からの業務委託を受けて、およそ8か月間、地元の観光客向けに水陸両用バスを運行していて、その期間、豊田船長が運転手として働いていたということです。
引用:長崎NEWSWEB
稼働していた8ヶ月間は、実際に豊田徳幸氏が運転手として働いていたとのことでした。
当時の勤務の様子について、「日頃から車両の点検はきちんとしていて、少しでも悪いところがあれば『修理お願いします』と言っていた。同僚に仕事を教えるときに『きちんとしろ』と言うなど厳しい面もあったが、勤務態度は真面目だった」と振り返りました。
引用:長崎NEWSWEB
出典:長崎NEWSWEB
かつての上司がインタビューで答えられている通り、
厳しい面もありましたが、勤務態度は真面目だったとのことですね。
「日頃から車両の点検はきちんとしていて、少しでも悪いところがあれば、『修理お願いします』と言っていた」
とのエピソードも語られておりました。
【2018年8月1日〜2020年6月】ワールド•キャビンの貸切乗務員
出典:worldcabin.com
またFacebookでの情報によると、
2018年8月〜2020年6月まではワールド•キャビンで貸切乗務員として働いていたとのこと。
ワールドキャビンの事業内容は、主に大型観光バスに携わる業務です。
豊田氏はこちらで運転士として働いていたと思われます。
出典:worldcabin.com
ワールドキャビンのHPを見てみると、2019年より長崎営業所が開設したと記載されておりますね。
長崎営業所ができるまでは、他の部署にいらしたのでしょうか。
このあたりは、現在調査中となります。
【追記】栃木県日光市で水陸両用バスの運転手をしていた?
豊田徳幸さんっぽい。日光市の湯西川ダックツアーの水陸両用バスも運転してたのかな。 pic.twitter.com/zbKIGw7sLN
— ぷくろう─大学受験問題に出そうな英単語 (@Puku_Pukuro_) April 25, 2022
2018年以降、豊田徳幸氏は「栃木県の日光で水陸両用バスの運転手を務めていたのではないか?」との情報がありました。
勤務態度は至って真面目だったそうです。
栃木県日光市にある『湯西川ダックツアー』ドライバーと顔が似ていることから、
「豊田船長ご本人では?」
との噂が流れているようですね。
職業柄とお顔立ちを考えてみると、豊田船長ご本人のような気もします。
しかし、こちらは現時点では確定情報ではありません。
続報を待ちたいと思います。
【2020年6月〜?】北海道知床に単身赴任
豊田氏の出身地は埼玉県ですが、北海道の知床には2020年頃から単身で赴任していたとの情報も。
豊田船長は埼玉県出身で、知床には2年ほど前から単身赴任
引用:日刊ゲンダイ
先で2020年6月まではワールド•キャビンで働いていたことから、それ以降に北海道に赴任してきたのでしょうか。
【2021年】KAZU1(カズワン)の船長に
そして2021年からカズワンの船長を任されていたといい、人柄は「寡黙で仕事熱心な人」と報じられております。
昨年から船長を任されていたといい、関係者は「寡黙で仕事熱心な人だった」という。一部報道によると、運航会社は船長の離職が相次ぎ、「豊田船長が1人で2隻を任されてかなり参っていた」と話す地元関係者もいるという。
引用:日刊ゲンダイ
↑このとおり、日刊ゲンダイでは運行会社は船長の離職が相次いだとも記載されておりますね。
当時を知る関係者は豊田さんの人柄について、「3人いたドライバーの中でもリーダー的な役割で点検や操縦などを他の2人に指導していた、立派な人だった」 「有明海は干満の差が大きいがそれも把握して運転していた、無茶をするような人ではなかった」などと話しています。
引用:NBC長崎放送
↑また、NBC長崎放送では、豊田船長の仕事に対するエピソードも報じられております。
- 3人いたドライバーの中でもリーダー的な役割
- 無茶をするような人ではなかった
この通り、豊田氏はかなり仕事熱心な様子が伺えます。
ここまで豊田徳幸氏の学歴や経歴をまとめてきました。
地元埼玉から長崎を経て北海道へと、かなり転勤(転職?)が多かった様子ですね。
今後、また続報があるかもしれません。
まとめ
いかがでしたか?
今回は「【時系列】豊田徳幸の会社経歴•学歴まとめ!埼玉•長崎•北海道の転勤も?」を紹介してきました。
こうして見てみると、お仕事で全国的に転勤(転職)をされていたことが分かりましたね。
豊田船長の過去については、今後続報が出る可能性があります。
引き続き調査を続けていきたいと思います。
それでは今回はこれにて失礼します!












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