有限会社知床遊覧船の会社社長を務める桂田精一氏。
地元は北海道ですが大学時代は茨城県の笠間にいた過去も明かされております。
今回は桂田精一社長の学歴(小中学校•高校•大学)について時系列順にまとめてみました。
それでは早速見ていきましょう!
【顔画像】桂田精一のプロフィール
2022年4月23日に事故が起きた観光船「KAZU1(カズワン)」。
カズワンを運営している会社は「有限会社知床遊覧船」です。
そして有限会社知床遊覧船の代表取締役社長が桂田精一氏となります。
ここでは桂田精一社長のプロフィールをご紹介致します。
出典:Facebook
- 名前:桂田精一
- 読み方:かつらだ せいいち
- 生年月日:1963年6月29日
- 年齢:58歳 (2022年4月現在)
- 出身地:北海道斜里郡(しゃりぐん)
- 経営会社:有限会社知床遊覧船など複数
- 職業:元陶芸家
調べてみると「有限会社知床遊覧船」は「有限会社しれとこ村」のグループ会社であることが分かります。
桂田氏は、遊覧船事業以外にもホテル経営もされているのだそう。
世界自然遺産の宿 しれとこ村つくだ荘」
「流氷と温泉の宿 海に桂田」
「shiretoko HOSTEL hanare」
「秘境知床の宿 地の涯」
「知床遊覧船」
「THE KIMUN-KAMUY(ザ・キムンカムイ)」 ※2020年2月より
この通りかなり多くの事業を手がけておられますね。
そんな桂木社長の学歴について、次で詳しく見ていきましょう!
桂田精一の学歴まとめ!小学校•中学校•高校や大学はどこ?
出典:www.sankei.com
ここでは桂田精一氏の学歴についてまとめてみました。
出身の小学校•中学校•高校や大学など、時系列順でご紹介致します!
小学校•中学校:斜里町立知床ウトロ学校?
高校:北海道網走南ヶ丘高校
大学:茨城県工業技術センター窯業指導所 (現•笠間陶芸大学校)
【小学校•中学校】斜里町立知床ウトロ学校?
まずは桂田精一氏が卒業した小学校と中学校について。
桂田氏の出身小学校と中学校は現時点では公表されておりませんでした。
しかし、居住地域から推定したところ、「斜里町立知床ウトロ学校」ではないかと思われます。
桂田氏の実家は、斜里町内で観光ホテルなどを経営する「有限会社しれとこ村」を経営しておりました。
そして有限会社しれとこ村の住所は、
北海道斜里郡斜里町ウトロ中島125
です。
“ウトロ中島”地区の校区を調べてみると、
出典:gacçom.jp
ご覧の通り、「斜里町立知床ウトロ学校」が表示されますね。
尚、こちらは公立校の場合の推測の範囲内です。
私立を受験されている場合もありますので、あくまでも予想となります。
【高校】北海道網走南ヶ丘高等学校
桂田精一氏が卒業した高校は、「北海道網走南ヶ丘高等学校」です。
1979年に、父(桂田鉄三)と同じ北海道網走南ヶ丘高校に入学しておられます。
出典:Google Map
北海道網走南ヶ丘高等学校
〒093-0031
北海道網走市台町2丁目13−1
出典:Google Map
当該高校は桂田氏が住んでいる「北海道斜里郡斜里町」から、ざっくりと車で45分〜1時間ほどのところにありますね。
案内図を見てみると、最寄駅は「JR桂台駅」。
桂台駅から高校までは徒歩約10分とのことでした。
出典:minko.jp
2022年現在の偏差値は「54」です。
桂田精一氏が通ってた当時は、時代的にはもう少し偏差値が高かったのかもしれません。
尚、桂田氏は網走南ヶ丘高校には“下宿生”として通っておられたとのこと。
「地元・斜里町から直線距離で60kmほど離れた、網走の高校に通っていました。下宿生としてね。卒業後は、茨城県の職業訓練校のような施設で陶芸の技術を学んでいたんじゃないかな。
引用:FRIDAY DIGITAL
こちらのインタビューはFRIDAYデジタルにて、桂田精一氏のことをよく知る地元住民の方の証言です。
やはり実家から直線距離で60km離れている高校に毎日通うのには無理がありますよね。
車で通勤するにも、当時はまだ運転免許を持ってないでしょう。
また、ご両親の方が送迎をしてくれたとしても、毎日となるとかなりの負担となりますね。
そのため、下宿生として通われていたのであれば納得です。
【大学】茨城県工業技術センター窯業指導所 (現•笠間陶芸大学校)
出典:news.yahoo.co.jp
続いては桂田精一氏の大学時代について。
桂田精一氏は、大学時代に“陶芸”を学んでいたことが明らかとなっております。
桂田社長は斜里郡出身で茨城県工業技術センター窯業指導所(現笠間陶芸大学校)を卒業。
引用:日刊ゲンダイ
地元北海道斜里郡を離れ、茨城県の大学へ。
学校名は「茨城県工業技術センター窯業指導所(現•笠間陶芸大学校)」です。
出典:Google Map
茨城県立 笠間陶芸大学校
〒309-1611
茨城県笠間市笠間2346−3
こちらの学校では現代陶芸をリードし、世界に羽ばたけるような人材の輩出を目指しているそうです。
HP上にはしっかりとコンセプトも記載されております。
この通り、実習の様子も細かく載っております。
桂田社長が通っていた当時は、“大学”という名称ではなく、“窯業指導所”でした。
また、現•笠間陶芸大学校の陶芸科は“2年制”となっておりました。
出典:itic.pref.ibaraki.jp
定員はわずか12名のみです。
かなりの狭き門ですね。
入学資格は、
「高等学校卒業及び卒業見込みの者、またはこれと同等以上の学力があると認められた者」
となっております。
桂田精一氏は少なくとも2年間は茨城県に住んでいたことが分かりますね。
【追記】桂田精一が知床に帰郷したは2005年
文春オンラインの記事によると、桂田精一氏が北海道の知床に帰郷したのは2005年ということが明らかになりました。
高校卒業後、桂田氏は茨城県工業技術センターで陶芸の技術を学び、都内の大手企業から支援を受けて芸術活動に邁進。2005年に知床へ帰郷し、2015年4月に家業を継いだ。
引用:文春オンライン
また桂田精一氏のことを知っている住民の方が、インタビューにて桂田氏の帰郷について回答。
内容は以下の通りとなります。
「斜里町に戻ってきたのは、確か40歳を過ぎてからです。両親が経営していた、民宿やホテルを手伝っていました」
引用:FRIDAY DIGITAL
桂田氏が斜里町に戻ってきたのは40歳を過ぎてからとのことですね。
桂田精一が現•笠間陶芸大学校で陶芸を学んだ理由とは?
桂田精一氏は現•笠間陶芸大学校を卒業後、陶芸家として活動されます。
そもそも、なぜ大学で陶芸を学んだのでしょうか。
実は桂田精一氏は、3歳の頃から絵を描いたりと感性が鋭かったことが明かされております。
出典:Twitter.com
そのため陶芸を学んだ理由は、幼い頃から芸術関係の道を歩みたかったのかもしれませんね。
桂田氏の会社をコンサルしている小山昇氏によると、
「感性が良いから、結果が出る。」
と語っていたそうです。
また桂田精一氏は、陶芸家としては百貨店で個展を行うほどの腕前だったとも言われております。
15年ほど前に地元に戻り、宿泊業を営み、斜里町の町議だった父親の後を継いだ。
引用:日刊ゲンダイ
しかし、15年程前の2007年ごろには地元に戻り、父•鉄三氏の後を継ぐため宿泊業の道へと進みます。
幼い頃から美的センス抜群の桂田精一氏。
大学では狭き門の現•笠間陶芸大学校で、本格的に学ばれていたんですね。
まとめ
いかがでしたか?
今回は「桂田精一の学歴(小中•高校•大学)まとめ!笠間で陶芸を学んだ理由とは」を紹介してきました。
桂田社長には元陶芸家の経歴がありました。
その背景には茨城県で2年間、しっかりと陶芸の修行を積まれていたんですね。
それでは今回はこれにて失礼します!












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宇登呂小学校、宇登呂中学校を卒業。「知床ウトロ学校」という小中一貫校が開校したのは2002年。