大人気お笑い芸人トリオ「ダチョウ倶楽部」メンバーの上島竜兵さん。
「くるりんぱ」や「聞いてないよォ」などのギャグで有名な上島さんですが、実家や生い立ちについても気になりますよね。
上島さんの生い立ちは兵庫県内(神戸市など)での引っ越しも多く、今回は時系列でご紹介してきたいと思います!
それでは早速見ていきましょう!
上島竜兵の生い立ちや出身校•プロフィールを紹介!
まずは上島竜兵さん(ダチョウ倶楽部)のプロフィールや生い立ちについてご紹介したいと思います。
- 名前:上島竜兵 (うえしまりゅうへい)
- 本名:上島龍平 (読み方は“うえしまりゅうへい”で同じ)
- 生年月日:1961年1月20日
- 年齢:61歳 (2022年現在)
- 身長:162cm
- 体重:75kg
- 血液型:AB型
- 嫁(妻):広川ひかる
- 出身地:兵庫県丹波市春日町
- 育ち:兵庫県神戸市垂水区、兵庫県神戸市北区
- 出身中学:神戸市立鈴蘭台中学校
- 出身高校:神戸村野工業高等学校
上島竜兵さんの出身地や育ちは兵庫県内ということが判明しておりますね。
出身は丹波市ですが、育ちは神戸市内の垂水区や北区ということでした。
そのことからもご実家は、兵庫県内を転々とされていたのだと思われます。
プロフィールを見てみると、出身中学や出身高校など詳細まで公開されておりましたね。
次で上島竜兵さんの実家について見ていきたいと思います!
上島竜兵の実家は神戸市内のどこ?引っ越しを時系列で!
上島竜兵さんの生い立ちを見てみると、幼少期からご実家の引っ越しが多かったようにも思われます。
ここでは上島龍平さんの引っ越しについて、時系列順で詳細を追っていきたいと思います!
- 1961年(0歳):兵庫県丹波市春日町で生まれる
- 1963年?(2.3歳):神戸市兵庫区鵯越に引っ越し
- 1965年(4歳):神戸市垂水区多聞台に引っ越し
- 1971年(10歳):神戸市北区鈴蘭台に引っ越し
- 1976年(15歳):神戸市北区大池に引っ越し
- 1980年(19歳):上京し一人暮らしをする
1961年(0歳):兵庫県丹波市春日町で生まれる
上島竜兵さんは1961年に、兵庫県丹波市で生まれました。
経歴プロフィールを見てみると、”兵庫市丹波市春日町”が出身地となっておりますね。
丹波市の市名の由来を調べてみると、
市域がかつて丹波国の一部であったためで、同じ丹波地方の京都府福知山市と県境を接する
引用:Wikipedia
と出ておりました。
地図上で見てみると、兵庫県の中でもかなりの山奥となり、京都府の福知山市との県境となっているんですね!
1963年?(2.3歳):神戸市兵庫区鵯越に引っ越し
上島竜兵さんの生まれは丹波市でしたが、その後2,3歳の時に“神戸市兵庫区鵯越(ひよどりごえ)”の文化住宅に引っ越しをされたとのこと。
記憶があるのは、神戸市兵庫区鵯越(ひよどりごえ)の文化住宅に越した、2、3歳からですね。
引用:文春オンライン
幼少期の上島さんの夏のエピソードとしては、
- 住宅団地の中の公園の水飲み場で水浴びをする
- 親戚の銭湯に通っていた
などが語られておりました。
尚、銭湯は親戚が営んでいたということもあり、上島さんの実家にはお風呂はなかったとも言われております。
更に、トイレは汲み取り式で壁は土壁だったそう。
トイレは汲み取り式で壁も土壁だった。六畳と四畳半の部屋が縦に並び、三畳くらいの台所が付いた、よくあった文化住宅の間取りです。海の近くでもないのに、お袋が大量のシャコを塩茹でにしてくれて。それを2つ下の弟とむしゃむしゃと食べていたのをよく覚えています。
引用:文春オンライン
この通り、間取りについては、
「6畳と4畳半の部屋が縦に並び、3畳の台所がついていた」
とも語られておりますね。
1965年(4歳):神戸市垂水区多聞台に引っ越し
また上島竜兵さんは4歳の頃に、“神戸市垂水区多聞台”の団地に引っ越します。
最初の部屋は2DKとのことですが、次の部屋(後述)は3DKだったとのこと。
団地の間取りとしては、当時の典型的なものだったそうです。
上島さん一家はなんと、
「抽選で広い部屋に当たる度に越していった」
と文春オンラインでは言われておりましたね!
引っ越しの回数が多いのも、なんだか頷けるような気もします。
1971年(10歳):神戸市北区鈴蘭台に引っ越し
そして小学校4年生時(10歳)には“神戸市北区鈴蘭台”の団地に移られ、中学3年生の春まで過ごすこととなります。
〈4歳になると神戸市垂水区多聞台の団地へ。小学校4年時には神戸市北区鈴蘭台の団地に移り、中学3年の春までを過ごす。〉
引用:文春オンライン
上島さんの学生時代のエピソードとしては、あまり勉強が得意ではなかったとのこと。
「林檎と梨を3つずつ買いましたが1つ落としました。さて合計何個でしょう?」と訊かれても、林檎ばかりが頭に残って計算できない(笑)。心配したお袋が弟を抱いて様子を見に来ていたので、俺は授業参観が毎日あると思っていたんです(笑)。
引用:文春オンライン
クラスでは人気者だった上島さんは、友達からチヤホヤされたいがために、お父さんからもらったシャーペンをあげたりされたそうです。
誰かと遊ぶにも、強い者に取り入って遊んでもらうタイプ。そこはいまも変わらない(笑)。
引用:文春オンライン
上島さんのコミュニケーション能力の高さは、当時から発揮されていたんですね!
また中学生時代の上島さんは、日曜になると三宮や元町の映画館に通いっていたそうです。
お金のない時は、名画座で300円3本立てを観るとのエピソードもありました。
1976年(15歳):神戸市北区大池に引っ越し
更に中学3年生の時(15歳)には、“神戸市北区大池”の一戸建てに引っ越しをされたそうです。
〈中学3年生になると、神戸市北区大池の一戸建てに引っ越す。団地生活が長かった上島さんは念願の一人部屋を満喫し、役者への夢をさらに募らせていく。〉
引用:文春オンライン
ついに念願の一人部屋をゲットした上島さん。
当時は中古住宅でしたが、庭も広く、トイレ月のプレハブが置かれたいたそうですね。
中古住宅だけど、1階に居間、食堂、六畳と四畳半の部屋が、2階には俺と弟の部屋がありました。庭も広く、トイレ付きのプレハブが置けたくらい。
引用:文春オンライン
同じ神戸市内でもかなりの回数を引っ越しされていたんですね。
出身の中学校は「神戸市立鈴蘭台中学校」とのことから、中学卒業当時は北区大池の実家にお住まいだっことが分かります。
1980年(19歳):上京し一人暮らしをする
ご実家は兵庫県内を転々とされていたイメージですが、19歳となった上島さんはついに上京することとなります。
中学から高校にかけて、そんな妄想映画ポスターを100枚以上作ったけど、19歳で上京する時に庭ですべて燃やしました。役者になって現実にするという決意表明ですよ。
引用:文春オンライン
そして、2022年現在は“東京都中野区”にお住まいだったとのこと。
こちらはニュースでも報道されておりました。
ここまで上島竜兵さんの実家の場所や、引っ越しエピソードについてご紹介致しました。
幼少期から何かと引っ越しの多かった上島さん。
学生時代から人懐っこい性格であることが伺えましたね。
まとめ
いかがでしたか?
今回は「上島竜兵の実家は神戸市内のどこ?生い立ちや引っ越しを時系列で!」を紹介してきました。
それでは今回はこれにて失礼します!



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